この日記はフィクションです(^^)

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こうの史代『夕凪の街』

昨日、教育実習先へ学校現場訪問に行ってきた。その時とある国語の先生が扱っていたのが、こうの史代さんの『夕凪の街』だった。この漫画を題材に「文学を読む」という営みを体感する授業で、授業の目指すところや展開していく様子は本当に面白かったし、とても勉強になるものだった。と同時に、単なる一読者として、この作品を読みたい、読まなければならないという気持ちを強く持った。授業の後半は涙をこらえるのに必死だった。あらすじを紹介することはできるけれど、そうじゃない、と思うので内容については一切述べないことにします。ごめんなさい。

 

今朝、大学へ行く前に近所のブックオフに立ち寄り、運良く見つけることができた。すぐさま手に取り購入。リュックサックの奥深くにしまう。

 

授業と事務手続きと夕飯の買い出しを終え、帰宅してようやく表紙をめくった。心の準備が必要だった。一コマずつ、何度も何度も行ったり来たりしながら読んだ。三十五頁という短編ながら、さらりと読むことはできなかった。授業見学で内容は把握していたけれど、やっぱりじっくりと読む時間をとることが私には必要だったことを感じた。やるせない。最後の頁を読みながら、涙と鼻水をだらだらと流した。きっと、これから何度も思い出すし何度も読み返す。一人で抱えているのが辛くて、ここに記録を残す。

分かっちゃいるけどかなしかった

この日記はただの日記なので、かなしかったことも書いていいんじゃないかな、と思ってキーボードをパタパタしています。

 

昨日のこと。ちょっと心がザワザワすることがあり、恋人のことでも考えて落ち着こう、と思って恋人の寝顔・寝姿コレクション(とっても可愛いよ)を見ながら心を落ち着けようとしていました。そして、考えていることはすぐにツイートしたくなる私、いくつかの惚気ツイートをしたのでした。ここまでは良かったのだけれど、とあるフォロワーさんが「惚気とか誰得なんだ」という旨のツイートしているのを見かけ、ありゃこれは、と思って見てみると、ありゃこれは、やっぱりリムーブされちゃっていました。

 

別に何も問題は起こっていないのです。この方を糾弾したいとかいう話じゃあもちろんないし、むしろ私のツイートが相手の方を不快にさせたのなら、それが視界に入らないよう適切に対処してもらえて良かった、お手数おかけしました、と言いたい。本当にそう思っているし頭では分かっちゃいるんだけれど、ちょっと寂しかったしかなしかったし怖かった。上手く言葉にするのが難しいけれど、私にとってとても大切な存在を否定されたように感じてしまったんだと思う(のだけど、これはたぶん考えすぎだわね)。

 

そんなちょっとかなしいことがあったんだ、ということを友人に伝えたところ、こんなお返事が届きました。

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※アイコンは隠してあります。LINEのこの機能、いろんなアイコンがあって可愛いしランダムで楽しいな。

 

とっても救われてしまった。勇気を出して、かなしいんだ、と言ってよかった。かなしいことは誰かに言ってもいいんだな。かなしかったことを打ち明けられる友人がいること、それを「分かっちゃいるけどかなしいね」と一緒にかなしんでくれたこと、私の書く拙い文章をこんなふうに読んでくれている人がいること。とてもありがたいしとても嬉しいことだな、と心は凪いだ。

 

そういえば、と思い出したことがある。別の友人(友人、と書くたびに笑顔になってしまうな)も最近、「のんさんの書く文章は男オタっぽい、誠実な文章だと思う」と評してくれた。自覚はまったく(いや、あんまり?)ないのだけど、私の書く文章、というものが少なからずあるのかな、と思うと上手いか下手かは置いておいてまずなんだか楽しい。最近、文章を書くのは楽しいな、と思えてそれもまた楽しい。

 

これからもぽつぽつ言葉を連ねていく。読んでくださる方、ありがとう。読まないでくださる方、それもまたありがとう。今から三百人を超える他学類の一年生に囲まれながら授業を受けてきます、ああ、やっぱり緊張するな!

ノンハ トリセツヲ テニイレタ !

今日はとても爽やかな気分なので日記を書く。最近は日差しが強くても空気は明らかに秋で、着実に季節が巡っているのを感じる。季節がぐるぐると巡っていくのと一緒に、私もぐるぐると回る。ぐるぐるぐる。今はたぶん割と、いい感じ。

 

五月の中旬頃から心療内科に通っている。ざっくり経緯を書くと、鬱状態に悩まされるようになって通院を始めたのだ(我ながらたいへんざっくりしているなー)。診察を重ねていく中で、もしかしたら現状を改善していくのに役立つかもしれない、と紹介されたのが「心理検査」というものだった。夏頃から数回に分けて検査を受けて、今日その結果を受け取ってきた。

 

その「心理検査」というのは、心療内科のパンフレットに

能力や性格傾向、個性などを客観的に測ることができますので、自分の傾向を改めて確認できたり、自分では意識していなかった傾向や、特性に気付く事ができます。

とある通り、様々な検査を組み合わせて受けることで、自分の得意不得意を知ろう!という趣旨のものだ(これはあくまで私がそう理解しているという話です、専門的な話は分かりません、悪しからず)。ちなみに、私がこの検査を受けたのはたまたま機会に恵まれたからであって、受けていない人が全員何も困らず生活を送っているなんてこれっぽっちも思っていないし、あなたのことを私は知らないし、生活なんて百人いたら百通りあるはずだ。言うなれば、よく見かける性格診断みたいなやつのもうちょっと詳しい版(語彙力寝ないで)を受検してみた感じ。どうにか伝わるとありがたいのだけれど、どうでしょうか。

 

検査結果の説明は、両親と一緒に聞いた。結果はとてもとても興味深いもので、二十二年間の答え合わせのようでもあったし、これから生きていく私のトリセツを手に入れたようでなんだか心強くもあった。説明を聞いてみると、なるほど!あー確かに!そうそう、そうなんですよ!の連続で、実は、結構、楽しかった。言語による理解や思考というのが得意で、パターンが決まっている場面で実力を発揮しやすくて、ワーキングメモリーの機能が弱い。自閉症スペクトラムADHDの傾向は認められるけれど、あくまで「傾向」の範囲内。だいたいこんな感じの結果だった。

 

特に面白かったのは、「ワーキングメモリーの機能が弱い」という点。面白がっていいのかな。私はいいと思う。続けます。今まで私は、ワーキングメモリーというものは短期記憶に関するものであって、主にタスク管理の面で必要になる能力だと思っていた。この認識は大きくは間違ってはいないようだったけれど、さらには〈記憶をリフレッシュする〉ためにも必要な能力だということを今日学んだ。私はここで少し困ったことになっていたみたいだ。要するに、ワーキングメモリーを空っぽにするのが苦手で、すぐいっぱいにしてしまうのだ。しかも、ワーキングメモリーの容量を食うのは学業や仕事などのタスクだけではなくて、感情も大いに含まれるらしい。これも今日初めて知った。ほへー!元々忘れっぽい自覚はあったから、やることリストはスマホや手帳に作って管理していた。けれど、感情も言語化して自分の外に出してあげないとワーキングメモリーは空かないんだよ、と教えてもらって(こうやってブログを書いているのもその一つだな…)と一人納得していた。と、ここで母がめちゃめちゃ頷いている。なんだなんだ。

 

何か気が付いたことでもあるの、と聞くと、

高校時代(=実家で生活していた時期)までは、学校から帰ってくると毎日マシンガンのように「今日こんなことがあってね、私は嬉しかった、今日あんなこともあってね、私は悲しかった」って散々私に話をしてくれてたもんね。だから今までそんなに困ってこなかったのかもしれないね。まあ、私は夕飯の支度をなかなかさせてもらえなくて困ってたけどね。

とだいぶ笑いながら言う。

 

な、なるほどー!今日イチのなるほどが出た(そして毎日困らせてたんだね!ごめんね!)。そりゃ高校時代までは困ってこなかったわけだ。環境の変化によって顕在化することもある、と聞いたことはあったけれど、私の場合は無意識のうちに家族の協力を得て工夫できていたということだったんだな。なるほど。父も含め三人とも大いに納得したところで説明は終了。心理士さんありがとうございました。

 

心療内科を出て、両親と昼食。私は三人きょうだいの一番上で、両親と私という三人でする食事は実はとても久しぶりだったように思う。「なんだかすっきりした顔をしているね」と言う両親の顔も穏やかで、娘の私は嬉しくて、今日はとてもいい日だな、と爽やかな気分で店を出た。風が気持ちいい。そんなこんなでトリセツを手に入れレベルアップ(テレレーン!)した私は、帰宅して昼寝して現在ゼルダの伝説をやっています。レベルアップしたはずなのにすぐゲームオーバーになるな。おかしいな。とりあえずセーブって大切なんだな。

珍しくのほほんと考える

十月になった。増税より軽減税率より、今日から秋学期だ。単に秋学期だ、といっても私にとっては約五ヶ月ぶりの大学生活。実はめちゃめちゃ緊張していた。久しぶりの授業はやっぱり緊張したけれど、ちゃんと席に座って話を聞けたからえらかったね(ハードルをとことん下げた褒め)。今日は、私が一番しんどい時期にしっちゃかめっちゃかなメールを送ってはその都度丁寧な返事をくださっていた先生の授業で、ほっとする気持ちとただいま帰りましたの気持ちでなんだか心地よい(し、少しばかり誇らしい)。ぼちぼちやっていきます、となんとなく伝えたくなる。結局伝えずに終わる。初回はガイダンスということで授業は早めに終わって、先生から「大丈夫じゃなくても大丈夫だよ~」と心強くて柔らかい言葉をいただく。ついでにちゃっかり、同期の友人も一緒に図書館併設のスタバでチャイティーラテまでいただく。久しぶりの大学スタバだ…なんてそわそわしていたけれど、わ!テイクアウトだから消費税は八パーセントだ!ちゃんと「軽」って書いてある!初軽減税率だ!とかなんとかひとしきり盛り上がる。あ、ちゃんと楽しいな、と感じている自分に気が付き嬉しい。そして前言撤回、今日から増税だし軽減税率でした。

 

先生と友人と別れて、大学構内をぽてぽて歩く。

 

私の横を過ぎ去っていくたくさんの自転車、そしてそれを漕ぐ学生。ああ、ここは私の通う大学だ。そうだ、私はここの学生、大学生だったや。そんなことをしみじみと思う。そうだよ、そういえば私は大学生なんだった。なんてぼやぼや考えながら歩いていると、うっかり轢かれかけた。ああそうだ、ここは私の通う大学だ。

 

授業は一コマで、その後は事務的なあれやこれやを片付けに歩き回った。がんばって歩き回ったわけのではないのがすごいところだ。歩き回れた。今日は花丸ラッキーデー。追加履修の手続きについて学生支援室へ相談(またの名をバトル)にも行けたし、カードの支払いも済ませた。バイト先である大学図書館の職員さんに挨拶もできた。戻れるのはまだ先になりそうですごめんなさい、と謝りに行ったはずが、暖かい言葉に励まされて帰路につく。つくづく人に恵まれていることだな、とあっちへこっちへ手を合わせる。ふー、今日のやることは全部終わり。思っていたよりも体が軽く動いたのが嬉しくて、復帰戦にしては上出来じゃん!と帰りにプリンとビールを買った。わ!ここでもやっぱり増税だ!軽減税率だ!

 

そして十月は手帳の季節でもある。確か大学に入ってから、四月でも十二月でもなく十月始まりの手帳を使うようになった。秋学期の始まりと揃うからかな。何はともあれ、この時期は新しい手帳のおかげでるんるん過ごせる。ハイタイドのレプレを気に入って使っていて、右のレプレが三代目。今年からカバーとゴムをカスタマイズできるようになったのだけど、ラベンダーにピーコックグリーンて、ねえ、我ながらめちゃめちゃに可愛いな。何度もちらっと視線を送ってはニマニマしている私。

 

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昨日行われた世代交代の儀。今!ライフのA6ノートと多色ペンが!三代目レプレに!今!手渡されました!

 

ちょっと前まではまっさらな手帳を見るのが怖かったけど、今はそうでもないな。来年は大学五年生になる。そう決まっているだけでなんだか少しホッとしている。その大学五年生をどう過ごすかは、ゆっくり考えればいいや。私は魚だけど泳ぎ疲れることもあって、岸辺で休んでいる(打ち上げられている?)間に大きな波は去ってしまった。私はその波に乗れないし乗らない、と認められたら少し楽になった。またちょっとずつ泳ぎだせたらいいな~、と、私にしては珍しくのほほんと考える。あれは必要な休息だったのだな。とにかく今はプリンとビールが私を待っている。一日が穏やかに終わっていくことの有り難さを感じている。

日常があふれすぎた

今日は久しぶりに高校時代の友人と会った。今私は「高校時代の」とさらりと言ったが、当時は彼女が一つ下で、部活が一緒(吹奏楽部)で、でもパートは違う(彼女はホルンで私はオーボエ)、そんな関係の、言うなれば「後輩」だった。高校生の頃はその一つ一つの立場というか役割というかがとても重要だったけれど、卒業してからはそんなこと全然関係なくなるな。私はそんな発見を、彼女と私が「友人」になってからしたのだった。だから訂正しよう。今日は久しぶりに大好きな友人と会った。

 

その大好きな友人とは好きなものがとても似ている。好きなものが似ていないと友人でいられないなんてことはないけれど、好きなものが似ている故の楽しさというのは一つ確かなこととしてあるな、と思う。

今日、その友人が誕生日プレゼントに!と贈ってくれたもの。私ね、こういうのね、とっても好き。

 

さて、久しぶりに会うということは、前に会ってから今日に至るまでにお互いいろいろな毎日を送ってきたということだ。もちろん、彼女にも私にもいろいろいろいろあった。今日彼女は私に手紙を書いてきてくれていて、そこには「(私の書く)ブログが大好きで、よく更新されていないかな~って覗く」と綴られていたので(とっても嬉しいな!!)、このブログをもってお返事を書いている気分になっています。ずっとまっすぐ走り続けるのは難しいね。今までまじめにまっすぐ走ることばかりをしてきた私たちにとって、まっすぐ走るのが難しいというのはとても苦しいことだね。逃げる、っていう選択肢があることをもしよかったら覚えておいてね。そしていつか逃げる日が来たとき、自分を責めないでね。自分を守れるのはとってもえらいことだと思うから(はい、以上の内容を私は復唱して私に言い聞かせましょう)。でもそれって、なかなかに難しいよね。

 

彼女からの手紙の最後の方には、この手紙を書くことで久しぶりに椅子に座ってペンを握ることができた、ありがとうございます、と書いてあった。私はそれがなんだかとても嬉しくて、どうして嬉しかったのかと考えると、たぶんそれは、私も机に向かうことの難しさを感じることがあって(というか今もめちゃくちゃ感じていて)、少なくともこの手紙を書ききった彼女はそれを成し遂げることができたからだ。すごいなあ。とってもよかったなあ。

 

ちなみに、今日二人でお茶をしたのは池袋にある梟書茶房というところで、装丁も題名も隠された本についての推薦文?紹介文?感想文?みたいなものを手がかりに本を選んで購入することができる、とてもワクワクするところでした。時間が許せば隅から隅まで読みたいものだな。次はたっぷり時間をとって行こう。

 

さて、散々悩んだあげく、私が購入したのはNo.825の本。帰りの高速バスの中、Spotifyで自作プレイリストをシャッフル再生しながら早速開封して読んだ。小さな日常がたっくさん詰まった愉快な本で、思わずニヤリとしたりフフッとしたりこりゃ大正解な本に出会えちゃったな~!と、とても楽しい気分だった。ところが、Spotify星野源の「季節」を流し始めた途端、急に読めなくなった。一瞬自分でもわけが分からなかったけれど、そうだ思い出した。この曲は高校三年生の受験期によく聴いていた曲だったのだった。午後九時には寝て午前三時から勉強する生活をしていた私は、スペースシャワーTVで音楽を聴くのが日課だった。たしかその頃、この「季節」がよく流れていた。まだ新聞配達のバイクの音もしない、しんとした時間に流れていたこの曲。思い出すことや考えることはたくさんある。当時の私は、数年後の私をこんな風には想像していなかったよね。まあもちろん、想像通りにすべてが運ぶとも思ってないけどさ。

 

友人に会って部活時代のことや彼女に会っていなかった期間のことを改めて思い出して、本を読んで小さな日常が目の前にたくさん立ち上がってきて、「季節」を聴いて受験時代の早朝の空気を思い出して、いろんな頃の日常があふれすぎたんだろうな。いろんな頃と言っても、ここ数年ぽっちのことなんだけどな。とにかく私は本を閉じて、なんだか気持ちよく少しだけ涙を流した。あの頃やあの頃の私へ、まっすぐ走り続けてはいないけれど、立ち止まったりとぼとぼ歩いたりばかりだけど、私はここにちゃんといるよ、わーいわーいだよ(隣に座っていたおじさんへ、驚かせていたらごめんなさい)。

 

んんー、眠い。まとまらないまま日記が終わる。それでもまあいいか。こんな一日を過ごした私もいたよ、という記録。またそう遠くないうちにお会いしましょう。それでは皆さん、さよなら、さよなら、さよなら。