この日記はフィクションです(^^)

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日常があふれすぎた

今日は久しぶりに高校時代の友人と会った。今私は「高校時代の」とさらりと言ったが、当時は彼女が一つ下で、部活が一緒(吹奏楽部)で、でもパートは違う(彼女はホルンで私はオーボエ)、そんな関係の、言うなれば「後輩」だった。高校生の頃はその一つ一つの立場というか役割というかがとても重要だったけれど、卒業してからはそんなこと全然関係なくなるな。私はそんな発見を、彼女と私が「友人」になってからしたのだった。だから訂正しよう。今日は久しぶりに大好きな友人と会った。

 

その大好きな友人とは好きなものがとても似ている。好きなものが似ていないと友人でいられないなんてことはないけれど、好きなものが似ている故の楽しさというのは一つ確かなこととしてあるな、と思う。

今日、その友人が誕生日プレゼントに!と贈ってくれたもの。私ね、こういうのね、とっても好き。

 

さて、久しぶりに会うということは、前に会ってから今日に至るまでにお互いいろいろな毎日を送ってきたということだ。もちろん、彼女にも私にもいろいろいろいろあった。今日彼女は私に手紙を書いてきてくれていて、そこには「(私の書く)ブログが大好きで、よく更新されていないかな~って覗く」と綴られていたので(とっても嬉しいな!!)、このブログをもってお返事を書いている気分になっています。ずっとまっすぐ走り続けるのは難しいね。今までまじめにまっすぐ走ることばかりをしてきた私たちにとって、まっすぐ走るのが難しいというのはとても苦しいことだね。逃げる、っていう選択肢があることをもしよかったら覚えておいてね。そしていつか逃げる日が来たとき、自分を責めないでね。自分を守れるのはとってもえらいことだと思うから(はい、以上の内容を私は復唱して私に言い聞かせましょう)。でもそれって、なかなかに難しいよね。

 

彼女からの手紙の最後の方には、この手紙を書くことで久しぶりに椅子に座ってペンを握ることができた、ありがとうございます、と書いてあった。私はそれがなんだかとても嬉しくて、どうして嬉しかったのかと考えると、たぶんそれは、私も机に向かうことの難しさを感じることがあって(というか今もめちゃくちゃ感じていて)、少なくともこの手紙を書ききった彼女はそれを成し遂げることができたからだ。すごいなあ。とってもよかったなあ。

 

ちなみに、今日二人でお茶をしたのは池袋にある梟書茶房というところで、装丁も題名も隠された本についての推薦文?紹介文?感想文?みたいなものを手がかりに本を選んで購入することができる、とてもワクワクするところでした。時間が許せば隅から隅まで読みたいものだな。次はたっぷり時間をとって行こう。

 

さて、散々悩んだあげく、私が購入したのはNo.825の本。帰りの高速バスの中、Spotifyで自作プレイリストをシャッフル再生しながら早速開封して読んだ。小さな日常がたっくさん詰まった愉快な本で、思わずニヤリとしたりフフッとしたりこりゃ大正解な本に出会えちゃったな~!と、とても楽しい気分だった。ところが、Spotify星野源の「季節」を流し始めた途端、急に読めなくなった。一瞬自分でもわけが分からなかったけれど、そうだ思い出した。この曲は高校三年生の受験期によく聴いていた曲だったのだった。午後九時には寝て午前三時から勉強する生活をしていた私は、スペースシャワーTVで音楽を聴くのが日課だった。たしかその頃、この「季節」がよく流れていた。まだ新聞配達のバイクの音もしない、しんとした時間に流れていたこの曲。思い出すことや考えることはたくさんある。当時の私は、数年後の私をこんな風には想像していなかったよね。まあもちろん、想像通りにすべてが運ぶとも思ってないけどさ。

 

友人に会って部活時代のことや彼女に会っていなかった期間のことを改めて思い出して、本を読んで小さな日常が目の前にたくさん立ち上がってきて、「季節」を聴いて受験時代の早朝の空気を思い出して、いろんな頃の日常があふれすぎたんだろうな。いろんな頃と言っても、ここ数年ぽっちのことなんだけどな。とにかく私は本を閉じて、なんだか気持ちよく少しだけ涙を流した。あの頃やあの頃の私へ、まっすぐ走り続けてはいないけれど、立ち止まったりとぼとぼ歩いたりばかりだけど、私はここにちゃんといるよ、わーいわーいだよ(隣に座っていたおじさんへ、驚かせていたらごめんなさい)。

 

んんー、眠い。まとまらないまま日記が終わる。それでもまあいいか。こんな一日を過ごした私もいたよ、という記録。またそう遠くないうちにお会いしましょう。それでは皆さん、さよなら、さよなら、さよなら。