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中二の頃中二病しなかった病①

こんばんは。昨日ぶりです。「また明日」を守れました!やった!…まあ、守る必要もないのですが。そして今パソコンに向かってやるべきは日記の更新ではなく、締切キリキリの原稿だと思います。絶対にそうです。

 

突然ですが、最近どうも軽い中二病を患ったようです。なにを今更…なんでだよ…と考えていたところ思い当たる節があったので、整理も兼ねて今日はその話。小さい頃の話をします。あんまり楽しくないよ!

 

寂れた港町に、鼻の低さがコンプレックスののんちゃんという女の子がいました。のんちゃんは小さい頃、もっと具体的に言うと幼稚園時代から高校時代まで、だいたいにおいて絵に書いたようないい子でした。しかも、ただいい子なだけではなくて、ちょっと目立つ位置にいることが多いタイプの、そういういい子でした。

 

例えばこうです。幼稚園児のんちゃんは鼓笛隊の指揮杖さんでした。小学生のんちゃんはほとんど毎年学級委員でした。中学生のんちゃんは吹奏楽部の部長で生徒会執行部役員で学級委員長でした。高校生のんちゃんは吹奏楽部では学生指揮者で、クラスでは合唱祭の練習を先導していました。のんちゃんは常に何かの役職に就いていました。役職って何でしょうか。のんちゃんにとって、それは「君が必要だよ」というお守りでした。のんちゃんは、集団生活の中で分かりやすーく必要とされる立場にいました。それが当たり前の十八年間でした。

 

そして、学校(フツーでいっぱんてきーな公立校ですが)の中で常に上から数えて片手には入る成績を持っていました。先生にはよく褒められました。クラスメイトや両親の友人らにも偉いエライと言われました。「やーいメガネザルの点取り虫ー!」とやっかまれたりいじめられることもしばしばでしたが、いい子だと思われている自分、私をいい子だと思ってくれている人(主に親とか先生とかの大人)の信頼を裏切っちゃいけないと思ってどうにかしていました。そんなのんちゃんに学校と家族以外の世界はほとんどありませんでした。学校と家族の中で、あの子はよく出来るいい子だと思われていました。のんちゃんは、それを自覚してもいました。

 

おしまい。

 

 

何を言いたいかというと、「自分は特別だ!と信じて、でもそうじゃなくて、それを受け入れていく」という誰しもが乗り越える壁みたいなものに、港町でぼけぼけ生活していた頃の私はろくに向き合って来なかったわけです。自分を取り巻く(せまーい)世界の中で、いつも何かしらちょっぴり特別な(少なくとも自分ではそう感じる)場所にいたから。ふむむ。

 

さて、それが大学に入ってみるとどうでしょう…というところが本題なのですが、今日はここまで。まじめな顔してたら疲れちゃった!べろべろべろーん!続きは気が向いたらちまちま書きます。それじゃーまたね!ばいばい!べろーん!