この日記はフィクションです(^^)

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知ってはいる

うららかな一日でしたね。二十二年弱生きてきてはじめて「あ、うららかじゃん」と思った。どうしてかは分からない。そんな陽気の中、バスを待ちながら大好きな人と公園のベンチでパンをもりもり食べた。楽しいことを作り出すのがほんとうに上手な人で、いつも尊敬している。

 

授業に出て、帰りに大学近くの喫茶店に入った。最近、この喫茶店の単品ドリンクをいろいろ試してみようキャンペーンをしていて、週の半分は通っている。

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今日頼んだのは、アイスシナモンティー。紅茶とシナモンともちもち生クリームとレモンピール。最高なことに「これいちばん好きなやつ!(いっぱいある)」の仲間入りを果たした。おめでたい!

 

大学に入って四年目の春がきた。今年は授業こそ少ないけれど、いろいろある年だ。まあ、なるようになるし、なるようにしかならない。半期休学していた友人が帰ってきて、「ほんとは一緒に卒業できたら良かった、でも今は心が穏やか」と穏やかな顔で言っていたのがとても良かった。自分が穏やかでいられるような選択をするってものすごく大切だけどあんまり簡単ではないように思う、すごいなあ、お帰りなさい。

 

自分は自分でしかないのだな、ということは知っている。どこに身を置いて何をするかは人それぞれで、他人の進度と自分の進度を比較することはできないと思う。そもそも進度って言い表すこと自体が違うんだろう。ここ数日の話で言うと、おととし深く考えずに履修していたヘブライ語のおかげで卒業できそうだったり、今までもたくさんお世話になってきた専攻の先生方や支援室に力を借りて司書資格を諦めずに済みそうだったり、きっとそういうことなんだと思う。

 

でも、やはり多数派のペースというか、そういうものはどうしてもあるように感じてしまう。私は他人を見ては自分のダメなところを探しちゃうダメゴリラだから、「どうしてみんなみたいに出来ないんだろう」ってばかり思う。みんななんていう人はいないけど。それもこれも知ってはいる。それでも、昨日の私よりも今日の私の方が「自分は自分」ってことをすこーし体で覚えているのは感じていて、いいぞ、その調子、と励ましてから眠る。

 

困ったことになってから困ればよくて、すべては巡り合わせで、何がこれからに繋がっていくか今は分からなくて、「あの時こうしていれば」と思いつくことをしなかったのが私なのであって、そして私はほんとうに人に恵まれている。こういうことを体でちゃんと分かっていこう、というのが今年度の目標です(今決めた!)。 

 

そういえば冒頭の「うららか」は、ふと思い出した(と、思いついたの中間くらいの)言葉で、でもすんなり使えなくて、辞書の用例をいろいろ見たけどなかなか自信をもてない。もっと用例があったら嬉しいし、ひとつひとつの用例が意図するところ(そもそもそんなのあるのかな)を知りたいし、自分の会いたい用例にすぐ会えたら(もしくはいないことをすぐ知れたら)いいなあと思う。これは書き殴りである。