この日記はフィクションです(^^)

この日記はフィクションです

お役立ち情報は特にありません

三週間前に買ったガリガリ君は弟にあげた

先週の金曜日、教育実習が終わった。三週間に渡る実習期間は、もちろんそう簡単なものではなかった。…と言いたいところだけれど、正直なところもうよく覚えていない。ただひたすらがむしゃらに走っていて、いつの間にか終わっていた。あれ終わっちゃったや、と思って振り返ったら、なんだか楽しかった気がする。そんな感じだ。

 

授業のテーマはずばり、国語辞典。好きなことを題材に授業をできる教育実習というのはおそらく珍しい環境で、私にとってはとても楽しくありがたいことだった。自分が面白いと思っていることを面白がってもらう、という体験はものすごくワクワクするものだ。その分、「ああ!本当はココにもっと面白いことが隠れているのに!国語辞典はもっともっと面白いのに!どうしたら伝えられたんだろう、どうしたら気付かせてあげられたんだろう!」と、国語辞典と生徒に申し訳なくて、授業のあとはいつも凹んでいた。そうだ、だいぶ凹んでいたな。悔しくて悔しくて仕方なかった。奥歯をグググと噛んでいた。

 

悔しくて仕方なかったと言えば、この実習で一番悔しかったのは、研究授業を諦めたことだ。実習生の多い教科だったため代表者数人が研究授業を行う仕組みになっていて、私にはやりたい気持ちがあったし他の実習生から推薦されてもいた。でも、八月末までは毎日ほとんど寝て過ごしていた私だ。学校に毎日登校できている時点でだいぶがんばっちゃっていた。こんな話もアレだけど、陰毛に真っ白い毛をたくさん見つけたのは初めてだった。ギョッとして、急いでできるだけ抜いた。痛かった。最後の一週間風邪を引いてずっと熱が下がらなかったのも、体からの悲鳴だったんだと思う(無視して突っ走っちゃってごめんね、最後までがんばらせてくれてありがとうだよ)。「研究授業やるの厳しいです」と先生に申し出る自分はとてもかっこわるく思えて、こんなの絶対認めたくない、と学校のトイレで少し吐いた。だけど、彼氏は「ちゃんとそう言えたのはえらいよ」と褒めてくれて、家族は「断れると思ってなかった!すごいじゃん!やったね!」と電話口で大騒ぎしてくれた。つくづく人に恵まれている私です。あなたにもあなたにもありがとう。研究授業を担当した実習生がその後の協議会でたくさん指導や感想をもらっている様子は羨ましかったけれど、自分の中にある「がんばる」のラインを下回ったところでもいいから完走できたことに意味がある、と完走した今なら思えるよ。よくがんばったね。

 

教育実習を終えてから、私は何度も泣いていた。それは悔し涙でもあったし、「しんどかった…」という涙でもあったけれど、一番は「私、やりきれたんだ」という感慨から来る涙だった。充実感にあふれていた。こんな気分は久しぶりだった。最終日、指導教員に一言、「いい単元でしたね」と言ってもらえた。控え室に戻ると、「先生、いい顔してますね」と体育科の実習生が声をかけてくれた。「参考にしたいので、指導案と資料一式いただけませんか?」と連絡先を教えてくださった先生もいた。こんなにすがすがしい気持ちで上履きを脱げる日が来るなんて思っていなかった。嬉しかった。お世辞の言えない生徒たちが「すごく面白い授業だった」「国語辞典によってこんなに違いがあると知らなかった」「自分に合った国語辞典を探そうと思った」「今後、辞書は二冊以上引き比べたい」「辞書を選ぶ、という考えを持てた」と言ってくれた(もちろんこれは一部で、興味を持てなかったという生徒も一定数いた。ある程度しょうがないことなのだろうけれど、悔しいと思った気持ちもちゃんと覚えていよう)。生徒の多くは、「国語辞典は正解を教えてくれる人ではなくて、相談相手なのだと思っています」という私なりの単元のまとめに実感を持って納得してくれたようで、「おおー!」と盛り上がったクラスもあった。虎の威を借りまくる狐先生だったけど、国語辞典や言葉に興味を持ったり、彼らなりの視点を手に入れたりするきっかけに少しでもなったなら、それはとても嬉しいことだ。なーんて、これは望みすぎかな。

 

ちなみに、実習期間中は学校の近くにウィークリーマンションを借りて、彼氏と二人で生活していた。毎日の食事を担当してくれて、どんなにへとへとへとへとになって帰ってきても美味しいものが待っていることが分かっている生活は、私を大きく支えていた。何より、大好きな人の帰りを待つことができる生活は、私をとても前向きにさせてくれた。だからがんばれた。じゃなきゃがんばれなかった。生活時間がズレていたから小さなメモ帳でやりとりをすることも多かったのだけど、それもとっても楽しかったな。そして、彼氏は「三週間がんばりつづけられると思ってないよ」という声をいつもかけてくれていた。だから、毎日実習に出かけていくことを「プラス一点!」と考えられるように(少しだけ)なった。いつも側で私にない視点を与えてくれて、私の気付いていない私を守ってくれる人だ。本当に素敵な楽しく柔らかい人なのだ。私も少しくらいかっちょいいところを見せたいんだぜ。むー。もっと話したいエピソードはあるけれど、それはまだ内緒にしておこう。三週間めちゃくちゃ楽しかったな、ありがとうございました。

 

そんなウィークリーマンションを引き払ったのは昨日の朝だ。忘れ物はないかと冷凍庫を開けると、ガリガリ君と目が合った。

 

三週間前、つまり、ウィークリーマンションでの生活を始めた日に、私はガリガリ君を買っていた。これからの実習期間はここでお昼ご飯を買うぞ!という練習のために立ち寄ったコンビニで買ったものだった。退去する時までそのガリガリ君は冷凍庫に残されたままで、でも、昨日の朝の私にはガリガリ君を食べたいと思う気持ちがまったくなかった。もっとちゃんと言うと、ガリガリ君を食べたい気持ちは日に日に失われていたようで、それに昨日の朝気が付いたのだった。ガリガリ君を買ったあの日より昨日は夏じゃなかった。少し寂しかった。ガリガリ君は、退去の手伝いに来てくれた弟にあげた。

 

そのまま家族とお彼岸のお墓参りに行って、綺麗なオレンジ色の鶏頭とすすきなんかが一緒になったお花をお供えした。卒塔婆には蜻蛉がとまっていた。風はどこか涼しくて、空には鱗雲が広がっていた。秋だ。まごうことなき秋だ。三週間、生徒と国語辞典とパソコンと生活を見つめている間に、季節は移ろっていたのだ。どうしよう。困惑した。衝撃を受けた。そうか、夏は終わったんだね。

 

この三週間を乗り切れたことは大きな自信になった。だけど、これを「だから次もがんばれるはずだ」という呪いにしちゃダメだ。秋になって、私はどうしようか。大学に戻れるかな。一人で生活のあれやこれやをどうにかできるかな。不安だらけだけれど、この半年で「逃げていいんだ」と思えるようになって、実際に逃げもした。だから、大丈夫じゃなくてもきっと大丈夫。大丈夫にする。本当に大丈夫じゃなくなっちゃう前に逃げたり、助けてー!って言ったりする。自分を守ってあげる。大丈夫。「お味噌汁をこぼす日は絶対に来るけれど、それでも大丈夫」という友人(友人!と私は思っています!です!)の言葉が心強い。私たちは大丈夫。

 

ふー、えい!えい!と書き殴っていたら疲れてきた。とりあえず今日はゴロゴロしよ、と、実家のおふとんの中で思う私より。きっと素敵な秋になるね。